90年代の芸術村

独立片の独立とは、要は官方からの独立であり、長年チベットを撮り続けてきた映画監督の段錦川が「かつてわれわれが直面したものは真実でないもの、虚偽のもの、ニセモノであり、個人で映画を撮るわれわれがしようとするのは真実を追求し、事実の真相を理解することだ」(「中国独立紀録片桐案」)と語るように、官方のメディアが伝えるのは虚偽であり、辺縁の試みである独立片こそが真実を伝える役割を担うという発想が祖底にある。日本で中国メディアのプロパガンダぶりを叩く言論を目にするが、中国国内にもそう感じる人が出現していることは注目してもよいのではなかろうか。最近、日本の若手映画関係者が中国の独立片の担い手と交流する場に出会う。「本当の中国はこうだ」と日本人の間だけで語ることに満足していたのが従来の中国との関わり方だとしたら、「本当の中国はこうだ」を中国の人と共有する次元に彼らは一歩踏み込んでいる。

中国の担い手たちは官方の映し出す現実を嘘くさく、しらじらしく思って、本当の現実を掴み取ろうとする。この場合の現実とは、本当の農村の姿も含まれるし、大上段に構えない等身大の視線も含まれるし、「出稼ぎをして、いい生活をしたい」というようなありふれた夢も含まれる。ありふれた夢であるのに、こと中国の大手メディアにかかると黙殺同然の扱いしか受けないから伝えたいのである。独立片は官方から独立している意味で、現代アートと同じく辺縁に位置づけられる。それは映画祭を主催する朱日坤が「芸術は個人のためのもの。政府の下にあるものではない」と語ることにも表れている。貧しいながらも情熱にあふれた彼らを見ると、90年代の芸術村の日々を思い出したりもした。

ただし、90年代の芸術村と今の独立片で大きく異なるのは、芸術村が持つ普通の人を寄せ付けない地下性が21世紀の独立片の界隈には見られない点だ。独立片は確かに官方との対立図式を備えているが、かつての芸術村にあった警察沙汰はほぼ皆無で、映画祭も無事に開催されてきた。映画祭には多くの外国人や市民が訪れるが、かつての芸術村を一般の外国人や市民が訪れることはめったになく、ストリーキングや喧嘩、奇行が日常茶飯事の異様な場たった。その意味で、独立片の辺緑としての性質は限りなく小衆に近い。と言うよりも、80〜90年代に地下・辺縁活動として担われてきた独立片に一般市民が関心を持ち、彼らによる小衆が辺縁に進出する形で盛り上がっているのだと言えよう。

そのことは独立片の作品を見ることでもわかる。劉高明《排骨》(06年)は海賊版DVDを闇で売る出稼ぎ青年の日常を映し出した作品だ。警察から追われる不安や真っ当な職を持たぬ出稼ぎ青年ならではの恋の悩み、それに同じ境遇の者同士の友情が描かれた作品だが、社会批判や説教じみたものはなく、淡々と彼の平凡な暮らしぶりが描かれる。映画祭では好評で、ぼくも見入ったが、それはふだんどこにでもあるのに、メディアで一向に取り上げられず、したがって闇として認識されざるを得ない海賊版DVDを売る青年の生活が、そこらへんにある形で提示されたからであろう。劉高明が「ぼくも出稼ぎ出身。彼らはぼくの分身」と語るように、文化人としての気負いのようなものはなく、社会現象となっている人たちを、そのまま文化に引き上げた作品だと言ってよいかもしれない。

また、王我の《熱閑》(05年)は爆竹や集団の喧騒などひたすら騒音を振りまく様を撮った作品である。集団の喧騒から一歩引いた冷静な感覚がおかしさを引き立てる。こうした感覚は市民感覚とも言え、北京の会社員やOLに独立片の作品を見せると、最も人気あるのがこの作品たった。デザイナーなどを経た彼ならではの感覚が冴えた作品だと言える。王我も劉高明もさまざまな職業を経て今に至った。他の業界にいた人が独立片に関心を持って作品を作り上げてしまうことも小衆の辺縁への進出だと考えられよう。官方の映画界であれば、映画大学を出るか映画製作所で経験を積んだ生粋の映画人、すなわちある種のエリートであることが求められる。こうした作品には、民間の感覚に即した、どこにでもあるのに官方の映像で全く露呈されてこなかった現実を提示することの勢いが伴う。