第三世界教育を重視する

「七〇年代に西ドイツで第三世界ショップが続々生まれたのは、先進工業国と開発途上国の間の不公正な貿易関係を公正なものにするための試みだった。この店も七六年に当時の牧師が、第三世界に不利な貿易構造を変える第一歩を踏み出そうと、地域の若い人たちに呼びかけて始まった」客の応対をしていたヒッピー風の濃いひげの男性が話してくれた。近くの教会のトベルハートーアイース牧師で、この店の責任者だった。

「当時の店の二つの目的は今も変わらない。途上国の貧しい農民や女性が作る食品や手工芸品などの物産を正当な価格で輸入して販売し、利益は途上国の自立プロジェクト支援に使うことと、西ドイツ市民に、現在の世界経済や世界貿易が最も貧しい国の人々にどんな影響を与えているかを知らせる情報活動をして、政治教育で変革のための行動を起こさせることだ」店はもっぱらボランティアに支えられていた。学生、女教師、主婦、サラリーマンなどごく普通の市民たちが交替で切り盛りするのだ。中古のマイクフハスを買って、商品やパンフ類を積んで、市が立つときや集会などにも売りに行く。毎年市内の公園で開かれる第三世界フェスティバルはがきいれどきという。年間売り上げは、多い年で十万マルクス百万円)程度だ。

「八〇年代半ば、スタート十年目あたりから店の方針が変おってきた。第三世界の物を売るより、情報を提供する方がもっと重要ではないか。それで、最近は南アフリカとかニカラグアとか危機的状況にある人々を支援することに力をいれている。それとわれわれヨーロッパ、ドイツの人々のぜいたくな消費生活を変えることが、不公正な経済秩序を変える第一歩ではないか」と、マアイース氏は店の一角にぎっしりつまった第三世界に関する本やミニコミやチラシなどを指した。毎週学習会を開いたり、第三世界教育を重視していた。

援助活動の方は、アフリカのブルキナフッソの井戸掘り、ペルーのリマにある障害児施設の増改築、ニカラグアの女性施設建設など、ニール教区のプロテスタント教会の援助プロジェクトに協力していた。「北は南の一次産品を安く輸入し、南は北の工業製品を高く売りつけられる。援助より、まずこういう構造を変えることの方が本筋だが、とりあえず、南の国々で自立しようとしている人たちを応援し、それを通じて私たちが学べれば、意味があると思う」と、マアイース氏は援助活動を位置づけていた。