「ローズマリーの赤ちゃん」

ローズマリーの赤ちゃん」の話は、さきにあげたスイスの事件のように、山にへだてられたところでおこったのではない。その背景はニューヨークだった。

著者のアイラ・レヴィンは1929年ニューヨークに生まれ、ニューヨーク大学を卒業した23歳の年に「死の接吻」という有名な処女作を書いて、1953年度のアメリカ探偵作家クラブ賞をもらった作家である。そのレヴィンの第二作めの「ローズマリーの赤ちゃん」はそれから14年もたった1967年に発表され、たちまち全米各誌の絶賛を受けベストセラーズの上位に入って、レヴィン・ファンの期待に見事に応えた。最近は映画化もされ、ショッキングな宣伝で女性客を大いに動員したようであるから、ご記憶の方も多いであろう。

この作品にも描かれた悪魔信仰つまりサタニズムについては後に詳しく述べるとして、ここではこの作品の内容を簡単に紹介してみよう。

「1965年、8月のある日、ガイ・ウッドハウスとその妻ローズマリーは、ニューヨークにあるプラムフォードという百年も昔に建てられた古いアパートに引っ越してきた。ガイは33歳の駆け出しの俳優で、24歳の妻との間に子供は無く、いつかはビパリー・ヒルズに住むことを目標に、目下はテレビや劇場で良い役をつかもうと懸命であった。

ローズマリーオマハの田舎から出てきていて、ニューヨークで働いているうちにガイと知りあい、カトリックの実家の反対を押しきって新教のガイと結婚したのであるが、以前の一室だけの狭いアパートに比べて今度の4室もある広い生活には大満足であった。

しかし彼女の古くからの親友で作家のハッチは、プラムフォードが前世紀からさまざまな魔法使いたちのいまわしい事件の舞台であり、ここで自殺する者が異常に多いこと、つい5、6年前にも地下室で新聞紙にくるまれた赤ん坊の死体が発見されていることなどをあげて、彼女たちがこのアパートに住むことには心から反対していた。

引っ越してまもなく、ガイ夫妻は親切な隣室の住人、かなりの年のローマン・キースとその妻デリー、それにその若い養女と知りあった。養女のほうはある日の真夜中、アパートから身を投じて死んでいるのが発見されたが、彼女が生前身につけていたタニス入りの薬玉を、その事件のあとローズマリーはデリーから贈られた。ローマンたちとの交際が始まると共に、ガイにはたびたびひょんな事から災難にあった友人の代役が回ってくるようになって、ガイはローマンたちとますます親しくつきあうようになっていた。

そうした幸せなある日、ローズマリーは夕食にデリーが持ってきてくれたプリンを食べたあと、はき気を催して倒れ、ガイの手当てを受けて休んだが、その夜、奇妙な恐ろしい夢を見たのである。それは、ローマンとその仲間の老人たちがベッドの上の彼女を裸にしてしばり、合唱をする中で、えたいの知れない何者かに自分が犯されてゆく夢であった。

しばらくして彼女は妊娠した事を知った。ガイは喜んでローマンたちにも知らせ、彼らはこの地で一番の産婦人科医だというサパースタイン博士を彼女に紹介した。待望の子供が愛するガイとの間に生まれる喜びで夢中の彼女は、ハッチが紹介してくれたヒル先生を断わって、ガイもすすめる博士のもとに通うこととなった。

博士のくれる痛み止めは薬草であり、デリーが毎朝彼女のために作って持ってくるジュースもタニス入りであったが、彼女はひどい痛みに悩まされ通しで、日に日にやせおとろえていった。様子を見に会いに来たハッチは彼女のおとろえぶりに驚き、クリスマス近くのある日、彼女に会う約束をしたが、その日彼は突然原因不明の病気で倒れ、翌年6月、妊娠10ヵ月の彼女に一冊の本を残して病死した。

その本は「悪魔使いのすべて」と題する部厚い本で、魔法や悪魔崇拝の詳しい説明と共に、悪魔にとりつかれた人々の名前や彼らが儀式に使う薬草の名などが書かれてあった。ハッチが最期に彼女に残した言葉にしたがって「文字遊び」の文字を拾いながら本の題名の文字をいろいろ組み合わせてみた彼女は、ローマンが実は今世紀初めプラムフォードに住んでいた悪名高い魔術師、アドレアン・マカトニーの息子である事を知ったのである。

以来、ガイやローマンたちの行為が悪魔のそれである事を知った彼女は、出産予定日も近づいたある日、一人でヒル先生を訪ねるが、結局はガイや博士につれもどされ、自分のベッドの上で出産を迎えた。目をさました彼女は子供は死産であったと告げられた。

しかしある夜、隣室から赤ん坊の泣き声が聞こえるのを耳にし、ナイフを片手にローマン家にしのびこんだ彼女は、そこにサタンを信奉するローマンの仲間やガイが集まっているのを見、彼らの真ん中に置かれた黒いゆりかごの中で泣く我が子を見たのであった。しかしのぞいて見たその子の目には白眼も虹彩もなく、「サタン万才!」の叫び声の中で彼女はただぼうぜんと無意識のうちに、”かわいそうな我が子”をあやし始めていた。」

この本から悪魔についてのべようとしているのではない。そうではなくて現代の私たちの心にも巣くっている不可思議な非合理的なものの仕組みをあきらかにしてみたいのだ。

政治的な憎みあいも、ニューヨークやパリや東京をおおいつくすきちがいじみた流行のさまざまな形態も、あの蒼古的な精神のしわざではないだろうか。私たちは本当に悪魔や魔女の時代の意識から自由になっているのだろうか。