戦争の大義について

もしも、誰でも納得できる客観的な基準にもとづいた大義が存在するならば、人類はとうの昔に戦争という悪から解放されていたはずである。そうでないのは、もともとからし大義なるものが存在しないからなのだ。いや、ある。だがそれが、当事者の双方ともが自分たちにはあると言えるところが、問題をややこしくしているのである。それは、大義とは、客観的ではなくて主観的である場合はなはだ多し、という性質をもつからだろう。

イラク戦争を例にとれば、ブッシュの「大義」は、タルト民族相手に使ったのだから大量殺戮兵器はもっている、それをないと言うサダムーフセインは嘘を言っている、この種の嘘は世界平和にとって危険だ、である。一方のサダム側にも、たとえ大量殺戮兵器が発見されたとしても、大量殺戮兵器をもっているアメリカに敵と見なされたからには自分たちももつのは自衛策だ、という反論さえも可能になる。北朝鮮にも、この種の「大義」ならばある。それなのに、「大義」論争はあいかわらず盛んだ。戦争に踏みきるに際して大義ウンヌンが問題にされなかった時代の歴史を書くのを仕事にしていて、ほんとうに良かったとさえ思う。

歴史を振り返るならば戦争にはやたらと出会するが、そのうちの一つとして、客観的な大義に立って行われた戦争はない。アルプスを越えて侵略してきたハンニバルに抗して立った第二次ポエニ戦役は、ローマにとっては自国防衛という大義があったが、あれもハンニバルにすれば、故国カルタゴが敗北した第一次ポエニ戦役の雪辱という大義があったのだ。それゆえの打倒ワイマーである。アレクサンダー大王の東征だって、問題は簡単ではない。アレクサンダーにすれば、ギリシア文明圏であるエーゲ海と当時はイオニア地方といわれていた小アジア西部(今ならばトルコ領)から、ペルシア勢を一掃することによるギリシア世界の安全と自由の再復、という大義があった。だからこそ、マケドニア軍が主力とはいえ、ギリシア都市国家からの兵も参加させての全ギリシア連合軍で、対ペルシアの戦争をはじめたのである。

しかし、ペルシア王ダリウスにだって言い分はあったのだ。第一に、アテネまでいったんは占領したギリシア本土侵略といっても、あれは二百年も昔の戦争であること。第二は、ギリシア人が植民して都市を建設した地はすべてギリシア勢力圏ということになれば、国境線はどこに引けるのか、である。実際、海外雄飛の性向の強いギリシア人は行けるところならばどこにでも都市を建設したので、ペルシア側にすれば、その地のギリシア人の権益までも守るという大義を振りまわされたのでは黙っているわけにはいかないという「大義」は成り立つ。ためにダリウスは、進攻してきたアレクサンダーを迎え撃ったのである。

その結果、アレクサンダーは勝者になりダリウスは敗者になったが、勝者には大義があり敗者には大義がなかったからではなく、勝敗を分けたのはあくまでも軍事力である。三度も会戦してそのたびに敗れ、ペルシア帝国は滅亡したのだった。そこで止まってもよいはずのアレクサンダーの足はインドまで行ってしまうが、あれは「大義」に変わりうる必要からではなく、若者の好奇心とか知識欲とか冒険心である。