株式市場への公的資金投入

公的資金は株価をサポートする上で、実に効果的に使われてきた。実際、九二年末から九三年春にかけて、株価が下落すると新指定単の資金を使って、買い出動に出たのである。その後、九三年春から年半ばにかけては公的資金の投入も手伝って、積極的に株価水準を押し上げる方向にすら出たのである。そして、公的資金を使ったこうした株価対策は、PKO相場(プライスーキーピングーオペレーション)だとか、PLO相場(プライスーリフティングーオペレーション)として郵楡された。

だが、株価対策自体は、それが何らかの方法で株式市場に対し直接的に介入するのか、または間接的に介入するかはともかくとして、金融システムが危機に瀕している状況下では、発動されてしかるべき対応策であった。むしろ、これほどまでに状況が悪化しなければ何らの対策も出ないものか、と思えるくらいであった。九二年四月の第一回目の警告シグナルを無視したことが九二年八月の危機につながったのである。そして、その後も金融市場は実に不安定であった。このため、仮にもPKOやPLOの措置で株価が回復しなかったとすれば、金融システムがすでに真性の危機に陥っていた可能性すらも排除できなかったはずである。

株式市場への公的資金投入で何らかの問題点があったとすれば、政府の対応が株式市場に対するものだけにとどまり、真に必要とされている銀行の不良債権を中心とする金融システムへの抜本的な対応策がまたしても見送られたことにあった。このことはある意味ではパラドックスであった。というのも、金融システムの安定性確保と株価水準とは密接な関係があり、株価がおるレベルを下回れば金融システムに対するストレスが高まってくる。

だが、株価がある一定のレベルを超えて上昇してくると、金融システムに対する不安心理が後退すると同時に、不思議なくらいに安心感すらが生まれてくる傾向があった。「もしかしたら、この窮境を何とか乗り切れるのではないか」といった一抹の期待感が生まれやすい。そうすると、実体的には金融システムが重大な状況下にあるにもかかわらず、抜本的な対応策を発動することが先送りにされてしまうのである。

こうした状況がまさに九三年から一貫して続いている。とすれば、新指定単を通じる買い支えが資金面から限界に達するなかで、何らかのインパクトが株式市場に負荷されるならば、それを契機として株価はいつでも急落しかねなかった。そして、この懸念が九三年秋になり現実となった。