名目的にイスラム教を受け入れる

アルコールについては、古代からビールやワインが盛んにつくられてきたエジプトでは、一九九七年に民営化されるまでは、百年以上もの間、「ステラ」というビールが国営会社で製造されてきた。同じ会社のワインも人気がある。シリアでは「アラック」というアルコール度が六〇度もある蒸留酒(水で割ると真っ白になる)が生産されている。イランでは、パーレビー朝時代には飲めたが、一九七九年のイラン革命で全面禁止になったという経緯がある。中東のイスラム教徒は、むろんおおっぴらに酒を飲んだりはしないが、ともかくアルコールそのものは存在する。

中東以外はというと、ユーゴの「モスレム」は、旧ユーゴ時代はそれほど戒律を厳格に守っていたわけではなさそうで、ボスニアではスモモの焼酎などの酒が飲まれ、サラエボでは豚肉も食べられていたということである。ただし最近では、アイデンティティ覚醒のためか、礼拝の励行、女性のベール着用など、宗教回帰の様相がみられる。

中東以上にイスラム教徒を抱えるインドネシアは(一億六〇〇〇〜七〇〇〇万人)、世界最大の群島国家でもあり、民族の言語や文化の状況は複雑をきわめる。そのため、アチエのように敬虔なイスラム教徒から、名目的にイスラム教を受け入れつつも実際の生活をヒンドゥー教的習慣によっているアバンガンとよばれる人々まで、同じイスラム教徒といっても生活様式はさまざまだ。ただし若い世代を中心に、イスラム教徒としての自覚をもち、その教えを身につけて人生を営んでいこうという流れも起こっている。イスラム復興運動とよばれるこうした動きは、東南アジア全般にみられるものである。

食生活に関するならば、豚肉はやはり食されず、華僑や華人街区を除き、市場の肉売り場でも売っていない。アルコールは一般的にタブーだが、嗜むのは個人の問題と考えられているようだ。ぬちなみにインドネシアにはビンタンビールというビールがある。服装について女性は、礼拝時には白い礼拝着を着て顔以外の全身を隠している。普段でも洋服の上からベールを被り、顔以外の頭と肩から胸にかけての部分を隠している。

イスラム教を国教とするマレーシアとブルネイでは、国家的にイスラム振興政策、復興策が進められてきた。マレーシアには国立、州立のモスクがある。両国ではそれぞれ、マレー語のアラビア文字表記法(ジャウィ)、ジャワ語のアラビア文字表記法(ペゴン)が発明されている。マレーシアでは三十年ほど前は、ラマダン中でも作業中にものを食べる農民などがいたが、最近はそれもないということである。女子学生などにベールを被り、マレー式の長いスカートをはいている人々がかなり増えている。なお同じイスラム信仰国のインドネシアとマレーシアでも、前者の場合、異教徒でも静粛と清潔を守ればモスクへの入場と見学は許可され、後者では許可されない、などの違いがみられる。