預金金利自由化の影響

全国銀行の総貸出残高は、第一次オイルショック以降バブル崩壊に到るまでの約十五年間、一〇%前後の増加率で安定した推移を示していた。このように銀行を通ずる資金供給という意味では、バブル期に特に顕著な増加があったわけではない。オイルショック以降は経済成長率が半分に(一〇%程度から四〜五%程度に)落ちたのだから、経済の潤滑油たる融資活動も半分以下に低下すべきであったということはできるかもしれない。しかしこの点については、高度成長期には貸出金は二〇%程度増加していたことを考えると、それは実現されている。

むしろ問題は、八〇年代に入って資金の需給関係に変化が生じたことである。わが国の企業は、オイルショック後の安定成長への移行に伴い、資産・負債の増加を抑える減量経営を志向した。その結果、例えば、製造業の主要企業全体では内部資金化率が高まり、七六年以降、全体としては設備投資資金を借入れに依存する必要がない状態となる。

こうして七〇年代半ばを転機に、製造業の金融機関借入金依存度は急速に低下し、八〇年代に入ってもこの傾向は続いた。さらに八〇年代には証券形態での資金調達の自由化(起債条件の緩和、国内CP市場の創設、海外起債の自由化など)が進行したことも、銀行離れを促進した。これを銀行の側から見ると、全国銀行の資産に占める貸出金のシェアは七〇年の八〇・五%から八〇年には七一・一%と実に一〇%近く減少し、八〇年代に入っても漸減傾向が続いた。銀行にとっては、カネ不足よりカネ余りの方が厄介な環境なのである。

預金金利自由化は、八五年十月の大口定期預金金利の自由化を節目に大きく進展する。全国銀行の資金調達に占める自由金利比率は急速に上昇した(八四年度末七・五%・八九年度末五三・〇%)。これは金利が上がるのであるから預金者の側からは歓迎すべきことであるが、金融機関の資金調達コストの上昇を招き、銀行は運用収益をあげざるをえなくなる。