限りない金銭欲

一九八一年一月に就任したレーガン大統領は、「ラッファー理論(経済学者アーサーこフッファーが提唱した、減税の正しさを証明するための理論。最適な税率の設定により政府は最大の税収を得ることができるというもの)」に基づき、高額所得者の所得税を大幅に軽減した。税制をフラット化し、高額所得者も二五%の所得税でオーケーという制度の背後には、「向う岸理論」があると言われたものだ。「我々には三億人の国民を豊かにする力はない。この際、有能な人たちのインセンティブを高めて、向う岸に渡ってもらいましょう。そして貧しい人々は、彼らの力で引っ張りあげてもらいましょう」という理論である。もし有能でお金持ちな人たちが、「金持ちのまま死ぬのは恥だ」と言ったアンドリュー・カーネギーのように人格高潔であったなら、この戦略はうまくいったかもしれない。

しかしウォール街の住民は、「バックートウー・ザ・フューチャー2」に登場する、悪童ビフのような人たちだった。短期的利益の最大化を図り、「今日の利益は僕のもの、明日の損失は君のもの」と碓いて大金を懐に入れ、四〇代の若さでリタイアしたあとは、アリゾナのリゾートでドーベルマンとガードマンに守られて半年を過ごし、残りの半年はクルーザーで地中海を周遊しようという人たちだ。片や、ガソリンが一ガロン一〇〇ドルを超えても困らない人と、片や洪水が襲ってきても逃れる足さえ持たない超貧民。小林由美氏の『超格差社会アメリカの真実』(岩波新書、二〇〇八年)には、その実態がビビッドに描かれている。

アメリカでは、上位一%の人が四〇%の金融資金を保有していると報道されたのはついこの間のことだが、二〇〇八年には、何と上位四〇〇人が五〇%を独占しているというから驚くしかない。金融工学の専門家を目指した私は、金融工学を単なる計算に過ぎないと見なしている経済学者と、金融工学は学問ではないと考えているエンジニアたちに金融工学を認知してもらうため、一日も早く世界レベルの研究成果を出す必要があった。敵に囲まれ馬鹿力が出たおかげで、一年後にはヒット作「平均・絶対偏差モデル」が誕生した。幸運は続けてやってきた。一万人に一人の天才・白川浩氏が、我々のチームに加わったのである。そしてこの天才は、一年もしないうちに、金利オプションに関する画期的な論文を発表して、世界的な注目を集めた。

「投資と金融のOR」研究会における、年三回の研究発表というノルマを達成すべく頑張った甲斐あって、今野・白川チームは三年間でニダース以上の論文を量産した。これらの成果を携えて世界の舞台に乗り出した私は、多くのファイナンス研究者と知り合いになった。アメリカの大学で、医学部教授に匹敵する高給をもらっているのは、ビジネススクールの教授たちである。そしてそのビジネススクールの中でも、ファイナンス教授は最も高い給料を手にしている。たとえば一九九〇年代はじめ、中西部の二流ビジネススクールファイナンス助教授の初任給は八万ドル、これに対して、工学部助教授の初任給は六万ドル以下だった。

個人的に言葉を交わした(一流の)ファイナンス研究者約五〇人の内訳は、経済系と理工系が半々だったが、私は経済系の人とは波長が合わなかった。出発時点で経済学者から厳しく批判されたこともさることながら、経済系の人の周りには、おカネに対する強い執着心が漂っていたからである。たとえばCAPMを生み出したウィリアムーシャープは、スタンフォード大学を休職して、投資顧問会社「シャープーアンドーティント社」の経営に精出していたし、ブラック=ショールズ公式のマイロンーショールズも、スタンフォード大学を辞めたあと、ソロモンーブラザーズの債券部長を経て、ヘッジファンドLTCMの経営陣に納まっていた。シャープシールズほど華々しくはないものの、経済系の人のかなりの部分は、彼らを手本に自己資本拡大に励んでいた。