文科の論文・理科の論文

そんな生活をしていれば、総説や著書を書くのは、実験ができなくなった人か、金もうけをたくらむ人ぐらいであろうと考えるようになるのは、無理からぬことかも知れない。それに、二宮尊徳的な教えが尊重されるわが国の風潮では、「星をいただいて帰途に着き、生活のすべてを研究に捧げている人」の話が何よりの美談として伝えられることになる。

このような時代の中で、学者達を驚かしたのは、一九七三年のノーベル医学生理学賞である。それまで、この賞は、分子生物学や神経生物学など、いわば近代生物学の第一線の研究者達に与えられていた。ところが、その年、フォンーフリッシュ、ティンバーゲンローレンツという三人の動物行動学者が受賞者に選ばれた。

フリッシュは、ミツバチの行動を調べ、ミツバチの言葉の発見者として有名であり、ティンバーゲンは、トゲウオの行動を調べて、本能行動の解析などで、すぐれた業績をあげている。そして、ローレンツもまた、『攻撃』という本で動物行動の本質に迫り、刷り込み(刻印づけ)など重要な現象の発見者でもある。したがって、この三人がノーベル賞受賞者になっても、不思議ではなく、また一時いわれたノーベル賞の権威が疑われたわけでもない。

にもかかわらず、多くの人が奇異の念を抱いたのは事実である。そのわけは、一九五〇年代から六〇年代にかけての分子生物学の発展などで、時代の先端をいく分野だけが脚光を浴び、彼ら三人の地味な研究は、ごくわずかな人々以外には、注目されていなかったためであろう。

おそらく、ノーベル賞選考委員会は、六〇年代の輝かしい科学技術の評価が、七〇年代になつて疑われ始めた風潮を考慮し、より生物的、あるいはより人間臭い研究を受賞対象に選んだのであろうと、当時、推測された。

その真偽の詮索は別として、ここでとり上げたいのは、ローレンツの発表の仕方である。彼の著書や論文には、図や表がほとんどなく、気の短い人には耐えがたいと思えるほど、淡々と観察結果と、それに基づく自分の考えが記されている。一言でいえば、きわめて文科的な表現の仕方がとられている。