擬似アメリカ中産階級的景色

立川でも横田でも、そして嘉手納でもそうなのだが、基地内というものは、じつに美しい。とりわけ亜熱帯の混沌(安易に括りやがる)顕著な沖縄における米軍基地というものは、鉄条網の外から見てもぴかぴかのつるつるだが、なかにはいると信じがたいほどに輝度が増す。陳腐な讐えでいいなら、無菌状態というやつで、手入れのゆきとどいた樹木や芝ばかりが目立つ緑の園、じつは〈思いやり予算〉なる我々の税金で雇われた日本人(安易に括りやがる)に手入れをさせた擬似アメリ中産階級的景色が、徴兵された貧乏な兵隊さんを慰撫し、誤魔化すために繰り広げられているわけだが、ああ清潔っていいな、吹く風までもがちがう、そんな投げ遣りな快感さえ覚えて、私は基地内を撃たれない程度にうろちょろしたわけだ。印象なんて、ない。無駄にだだっ広いだけである。ああ、風がよく抜ける。戦争の本質が無駄であるということがよくわかる。戦争とは浪費である、などと口ばしるのはもはや気恥ずかしいかぎりであるが、やはり基地の無駄ぶりをみると、シンプルに戦争の醍醐味は浪費にありと断じてしまいたくなる。

我々御一行様は、嘉手川さんの知り合いにいざなわれて、おそらくは〇fficer club 将校どもの食堂にて昼食をいただいた。料金は五ドルほどだった。飲み放題の食い放題、バイキング形式だ。軍服、私服が半々といったところで、けれど下っ端の兵隊さんは影もかたちもなく、ああここもいい風が抜ける、といった雰囲気の、じつにゆったりとした立派な食堂であった。けれど、私は、ここで、なにを喰ったか、一切、覚えて、いない。カードで支払った金額以外に、まったく記憶がないのだ。頭のなかをいい風が抜けていくばかりで、なにも思い出せない。映像のかたちであれやこれやを記憶していて皆の衆をあっと言わせることのできる私であるのに、見事な記憶の遮断が起きてしまっている。以前、羅府ことロサンゼルスにでかけたときも、なにを喰ったか記憶していなくて、中庭のある高級なフランス料理店とかホテル内の傾きかけたコリアンレストランといった言葉のみが脳裏をうろちょろするのみで、具体性が一切ない。

おそらくは米国の食事に対して、私は完全に興味がないのだろう。米国に出向けば、私は生存のために物を口にするが、その味に関しては端から除外して、まったく気にしないのである。それと同様のことが嘉手納基地内でも起こってしまって、まあ、ぶっちゃけて言ってしまえば旨くねえというだけでなく、いわば味気ないということの象徴として機能する食事ですかね、などといった程度の低い抽象的な否定の言葉を吐くのみである。さて、飯も喰ったし、せっかくだから買い物を。日本人オフリミットのはずのカミッサジーだが、どうということもなく入れてしまい、VISAやマスターカードがあれば支払いもできるので、あれこれ物色したが、ここでもそそられる物がない。

ネットで見飽きているせいか、おまんこ丸出しの雑誌をぱらぱらめくると欠伸が洩れるし、黒人専用ヘアケア用品は物珍しいけれど購入する理由もないし、幾ら安いからといっても酒もタバコもやめてしまったし、それらで商いするには数量制限がじゃまだし、でっかい冷凍七面鳥なんてもとより買っても意味がない。ビタミン剤の棚は商品充実、ブツは異様に巨大だが、けれど私には買うだけ買ってほとんど服まないちいさな瓶のアリナミンがありますし、メラトニンなんて私にはまったく効き目がない。ちなみにカミッサリーの物の値段を日本円にして記しておくと、コカインでないほうのコークが二十円、バドなどのビールは六十円くらい、タバコはおおむね七十円くらいか。換算が面倒になったのでもうやめるけれど基地内のガソリンは一ガロンが百三十円強、一ガロンは三・八リッターくらいですね。もちろんこれらは治外法権だから消費税なんて無粋なものはない(どころか一切の租税免除ですって)。

それにしても、いくらなんでも安すぎると呆れていたら、これらも、やはり例の〈思いやり予算〉とやらが露骨に絡んでいて、人件費のみならず、この手の建物さえも我々の税金で建ててあげ、維持されているそうだから、まったくもって金丸信という男は稀代の売国奴であった。せっかくフェンスのなかのアメリカにやってきたのだから、なにか記念になるものでも買って帰るべえとおのぼりさん気分汪溢の花村であったが、慾しいものがないのだからどうしようもない。結局は、ちょっと可愛いなと思っていた女の子が英会話をはじめたいと言っていたのを思いだし、うまく取り入ろうと画策、まだ日本では発売されていなかった〈トイーストーリー〉のビデオを買って帰ったのだが、なんとなく渡しそびれて〈トイーストージー〉は未開封のまま八ヶ岳の仕事場倉庫に拠りだしてある。