戦力遂次投入の愚再び

何よりも、最後に責任を負うべきジョージーブッシュ米大統領の影は薄かった。「事件はホワイトハウスで起こっているんじゃない。ウォール街で起きているんだ」と言いたかったのだろうか。いかにも切羽詰まった米政府の発表だった。ヘンリー・ポールソン米財務長官は○八年七月十三日、GSEと呼ばれる住宅金融会社へ公的資金の注入を検討中と表明した。米金融システムの動揺を抑え、ドルの信認を維持する窮余の策。金融市場に追いつめられ、戦力を逐次投入する姿からは、すっきりした問題解決の見通しは立たなかった。「GSEは巨額増資が必要」とした米証券リーマンーブラザーズ、「実質債務超過」と断じたウィリアムープール前セントルイス連銀総裁−。米国の中央銀行である連邦準備制度を構成するセントルイス連銀の前総裁の発言はあまりに率直だった。時価評価を適用すれば○八年三月末時点でフレディマックは大幅な債務超過となり、ファニーメイも七割近い資産減少に見舞われる。両社が破綻状態にあるというのである。

米当局は後手に回った。万一に備えバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は投資銀行の破綻処理の仕組みづくりに言及していたが、GSE問題はいわば伏兵。ポールソン長官が公的資金注入の言質を取られまいとするうちに、週末にかけ金融市場に外堀を埋められた。不良債権の増加と資本不足を織り込む形で、両社の株価は一時一〇ドルをも下回った。事態を放置したままでは、フレディマックによる週明けの債券入札さえおぼつかなかった。経営難に陥ったシティクループなど米大手金融機関の四−六月期決算の発表も控えていた。バブル崩壊後の日本は、銀行の不良債権という病根から目をそらし、金融危機の連鎖が経済を大きく下振れさせた。一九九〇年代前半にかけての米貯蓄金融機関(S&L)危機も同様だ。公的資金注入否定を選挙公約にした先代のブッシュ政権の対応は遅れ、貸し渋りを招いた。政策の逐次投入の愚は分かっているはず。それなのに、既視感のある劇が繰り返されようとしていた。

米住宅金融公社問題を巡る○八年七月十五日の米上院銀行住宅都市委員会。ポールソン財務長官らが出席した公聴会では、中世スコラ哲学の「普遍論争」さながら「無限論争」が繰り広げられた。「なぜ、無限の枠が必要か?」。クリスードッド委員長やリチャードーシェルビー議員が繰り返しポールソン長官に尋ねる。「敵に水鉄砲しかないと見せると、使う必要が出てくるが、バズーカ砲を見せれば使う必要はない」とポールソン長官。カウンターにどんと札束を積んで、預金者の不安をぬぐおうという銀行支店長の心境なのだろう。「長官はいら立ってるな」とみずほ証券の石原哲夫シニアクレジットアナリストは感じた。増資引き受けや融資実行で、ポールソン提案に要する資金はざっと二百五十億ドル(約二兆五千億円)。米議会予算局は、そんな試算をはじいた。金融危機に際し日本政府が投入した公的資金は数十兆円に達したことからみても、そんなものでは済まないだろうと容易に想像がついた。

基本的にプライムローン(優良貸し出し)で、融資の担保も取っている。そんな建前から、両社の自己資本は極めて薄い。焦げ付きがプライムローンにも拡大の兆しをみせ、担保物件の価値も下がり続ければ、プール前総裁のいう「実質債務超過」の実態が白日の下にさらされる。ジョンースノー前財務長官は「ファニーメイフレディマックに対する政府保証など存在しない」と再三警告していた。○三年以降、利益操作ともとれるファニーメイフレディマックによる不明朗な会計が指摘され、規制監督強化論が出ていた。それをさぼったのが、民主党のドット委員長であり、シェルビー議員であり、バーニー・フランク委員長率いる下院金融サービス委員会である。両社のロビイングの嵐もすさまじいものがあった。誰がポールソン長官を指弾できよう。

「オーナーシップ(所有)社会」を掲げるブッシュ政権も、GSE問題には手をつけなかった。住宅バブルが崩壊して以降、景気対策としてGSEによる資産買い取りを推進してきた。税金を使わない裏口からの住宅テコ入れ策が、傷口を広げたともいえる。暗黙の政府保証、株式上場、経営トップの高額なストッタオプション(自社株購入権)。共存困難な経営の三位一体がGSEのカラクリだった。幹部のボーナスは収益に連動し、フレディマックのトップの年収は株式支給も含めると一千万ドル(約十億円)を超えることもあった。保証業務などでリスクを取ることを可能にしたのが、暗黙の政府保証と最上級の格付けというお墨付きだった。ところが住宅バブルの崩壊を機に、王様は裸だという指摘が相次ぎ、GSEの発行している株式や債券が売られ出したのだ。