点滴の内容物

ああ何て大変な仕事だろうと、見ているだけで私の目はチカチカし、アタマはクラクラしてくるのだった。ペンを置いた先ほどの看護婦さんは満足そうに微笑した。彼女は関西のある病院から研修にきていた看護婦さんだった。午前一時過ぎの闇のなかをバイクで宿舎に帰る。思わず「大丈夫?」と聞いてしまった。自転車通勤の、ある看護婦さんが、準夜勤を終わって夜道を帰る途中、男にからまれた。「フザケンじゃない!」と大喝一声、男を撃退したという話を聞いたばかりだった。痴漢対策に、服装はいつもズボンにジャンパー、警報ベルを持って……という看護婦さんは多い。

痴漢のほかに、疲労のあまりの交通事故もこわい。事故は準夜勤、深夜勤明けに起きがち。ある看護婦さんは、アブナイーと予感して、くるまを農道に停車させ、そこで仮眠してから帰宅したこともあると私に話してくれた。午前一時半。Bさんはまたベッドサイドへ。十二時四十五分からこの一時半までの四十五分間、Bさんが何をしていたかというと、点滴の輸液をととのえる作業である。ひとりひとり、まったく異なった点滴をほどこすわけで、その準備は目も疲れ肩もこる神経のいる仕事だ。薬品についている表示は、虫めがねで見ないと判読できないような超細字のものかふつう。これをとっさに読みとったうえ、医師の指示にしたがって一分間に何滴落とすかの調整をしてゆく。

黙々と背を見せて、点滴の準備に集中するBさんの背はきびしく緊張していて、声をかけるのもためらわれた。アンプルを切るキリリ、キュルリという音が、その手もとからひびいてきた。抗生物質、利尿剤、強心剤、さまざまな薬剤が、点滴の内容物だ。CCUのUさんが少し苫しかっている。尿が出ている。家族はまだ緊張が解けない様子で闇のなかにうずくまり、不安なまなざしを向けている。Qさんはさらに深刻さを増したようだ。痰をとると無呼吸になる。Bさんの顔色がひきしまった。カルテをあらためて点検する。尿は出ない状態。重態であることは看護婦も医師も、もちろん承知している。家族もそうだ。みな静々と落ち着いてはいるか、いまや最期の時を刻一刻たどっている状態なのだ。

医師がナースステーションに入ってきた。若い長身のスマートな医師である。Qさんの主治医だ。注射を一本。家族がQさんをとりかこむ。みな無言。無言だがベッドサイドにはあたたかな空気がたゆたっている。Bさんはそっとはずして、相棒の若い看護婦さんと手わけして一般病棟の患者を巡回する。午前三時、巡回を終わってナースステーションに戻る。これから五時までの二時間がいちばん眠い時間だ。だから眠けざましに看護婦さんたちは、ティータイムをとる。もちろんナースコールがあればとび出してゆく。

Bさんは包みのなかからクッパーをとり出した。サラダと煮しめが、入っていた。「夕ごはんの残りものよ」と笑った。相棒はいちごのパックとパン菓子とヨーグルトを並べた。いつの間にかコーヒー、紅茶、日本茶の用意もできていた。一息つく。お互いをいたわりあう一時でもある。熱い紅茶が嬉しい。相棒は早速、新婚旅行には青函トンネルを抜けて北海道へ行くのだと、ユメを語りはしめた。そこへ、からだのがっしりした医師が入ってきた。宿直のドクターである。ユーモラスな人柄らしく、冗談をとばし、コーヒーをすすり、いちごをつまんで行った。