販売会社は削減しなければならない

それからおよそ十年経過して八〇年代の半ば、再びわたしは花王に出向いた。その十年で花王は飛躍的に売上高を伸ばしていた。ライバルのライオンを大きく引き離した原因はどこにあるのか、その点が経済記者の間では関心の的だった。わたしは花王の原動力は情報システムへの果敢な投資にあると思っていたので、この点を明らかにしようと研究中だったのである。企業の体質転換の運動を担当している渡辺正太郎常務(現副社長)に会ってあれこれ聞きながら、わたしはやっと本題に入った。「わたしが十年ほど前に取材したころ、花王の販売会社は百二十八社あった。それは今、どのくらいに増えているのか」。つまりオフィスコンピューターをつなぐ大規模ネットワークは今、何百台をつなぐに至ったか、と遠回しに聞いたのである。頭の中には「花王、数百台の大規模なオフィスコンピューターのネットで飛躍的に成長」という派手な見出しが浮かんでいた。

ここからが苦い思い出である。渡辺さんは意外な質問を受けたという表情をした。そして「なぜ増えなければいけないのか。今、販売会社は五十数社に減らしたが、それでも多すぎる。どうやってこれを減らしていくか、頭を悩ませている」と回答した。その顔はいかにも不快そうだった。そして現在、花王の販売会社は七社に統合されている。花王はこの十年、百二十八社もあった販売会社の削減に必死に努めてきたわけである。

わたしには渡辺さんの回答の意味がさっぱりわがらなかった。けげんな顔をしていると、「いま、わたしたちは高度情報社会の真っ只中にある。しかし、花王の企業組織や仕事の仕組みは、情報システムが発達していなかった時期のものを引きずって、極めて非効率なものになフている。高度情報社会に合わせた仕組みに作り替えなければならない」といまいましそうに付け加えた。百二十八台のオフィスコンピューターを使った大規模なネットワークが、。なぜ、高度情報社会に適合しないのか。むしろ、高度情報社会を象徴するシステムではないのか。こうした「発展思想」は見事に打ち砕かれた。ため息をつきながら後を続ける渡辺さんの話を聞きながら、新聞記者としてわたしは自分の無知に冷や汗を流さなければならなかった。

花王がこの二十年間に経験した変化を以下に模式的にスケッチしてみる。七〇年代半ば、花王は百二十八の販売会社を拠点に営業活動を展開してきた。営業担当者は注文を取りに小売店を回る。注文を受けると、カーボン紙をはさんで複写が何枚も取れる伝票用紙にボールペンで商品、数量、金額などのデータを書き込む。伝票の写しを小売店に置いて、営業担当者は次々と予定の小売店を回訪し、夕方、販売会社に戻る。

そこでパンチャーに一束の伝票を渡し、オフィスコンピューターにデータを打ち込んでもらう。打ち込まれた注文データは、深夜に、通信回線を通じて本社のセンターコンピューターに送られる。毎夕、販売会社に戻ってオフィスコンピューターにデータを打ち込まなければ、注文を本社に送ることはできない。営業担当者が地域の小売店を回訪して夕方に戻れるように販売会社を配置すると、全国で百二十八社が必要だったのである。

営業担当者は物流の補完機能も果たす。好天が続き、子供たちが泥だらけで遊ぶので、小売店の洗剤の在庫が尽きてしまったとする。一週間後の配送日までは待てない。小売店からなじみの営業担当者にSOSの電話が入る。こうした要請に対して、営業担当者は販売会社に併設する倉庫から商品を出して、小売店に緊急配送する。緊急配送ができるように、倉庫のある販売会社が全国にかなりの数が必要だ。百二十八社くらいはほしい。