追随者が成功する

しかし先べんをつけることによって主導権を握ることから生まれる報酬に比べて失敗のリスクがあまりにも大きいという事態は、先駆者になろうと焦るあまり、生まれつつある事業機会の本質を正確に理解しきらないうちに資金を投下してしまうときにしか生じない。顧客需要の正確な性質、新製品やサービスーコンセプトの妥当性、市場戦略の調整の必要性―‐これらをできるだけ早く、しかも低コストで学ぶのが目標である。

開発の早期段階から顧客を参加させたり、従業員や顧客を使って小規模な市場実験を行って新製品のコンセプトやプロトタイプ(試作品)を定期的に試験したり、提携パートナーと投資リスクを負担し合ったり、未知の顧客層や技術群について新しい展望を得るためにパートナーを利用すると、こうした目標は達成できるのである。

いずれの場合も、目標は絶対的な意味で最初になること、つまり画期的な新製品を世界で真っ先に世に問うといったことではなくて、価格と性能を理想的に組み合わせて、新興の巨大市場の幕開けとなる製品を一番最初に出すことなのである。先駆者は失敗すると「市場の方がまだ準備できていなかった」とよく言い訳する。しかし、市場はいつでも用意できているのであって、用意できていなかったのは製品とかサービスの方で、高すぎるとか、使い方が難しすぎるとか、確実でないとか、何らかの点で欠点があったのである。

失敗した先駆者とは、形成途上の市場機会に夢中になりすぎて、経験に学ぶことができずに失敗を積み重ね、最終的には完全に事業機会から撤退したり、参入を見送ったりすることを余儀なくされるような会社のことである。GEが工場オートメーション事業に狙い撃ちを仕掛けたものの、失敗に終わったのはその一例である。また、日本がハイビジョン(HDTV)に巨額な資金をかけて実験を重ね、しかも時期尚早なままに日本のハイビジョン方式を導入するようにアメリカの放送業界や規制当局に迫ったのも、もう一つの例である。

追随者が成功するというのは、ぎりぎりまでゲームに加わるのを待って、先駆者の足元を見て逆転する機会を得ることができるということを前提にしているからである。そこにはいくつかの暗黙の前提がある。まず第一に、先駆者はきっと取り返しのつかないミスを犯して、せっかく手にしかけた機会をそのせいで取り逃がしてしまうだろうという前提である。もちろん、いつもそうなるとは限らないし、先駆者が足元を滑らせることに賭ける会社は、それ自身、大ばくちを打っているようなものである。

IBMは一九八〇年代前半に、自ら進んでマイクロプロセッサーの主導権をインテルの手に委ねてしまい、インテルはIBMによってもたらされたこの機会を存分に活用したのである。IBMはまもなく、パートナーであり競合企業でもあるインテルにパソコン事業利益のかなりを持っていかれてしまったことに気づいたけれども、すでに遅すぎた。同社がインテルによるPCマイクロプロセッサーの支配にかなり対抗できるようになったのは、実にパソコン発売からニニ年もたった一九九四年である。IBMはモトローラアップルコンピュータと提携して、インテルペンティアムーチップに直接競合するパワーPCチップの周りに、パソコンメーカーやユーザーを結集させようとしたのである。